コンサルティング(国内)
臨港道路霞4号幹線整備事業
港の発展と自然環境の
調和を目指して
道を拓く
臨港道路霞4号幹線は、四日市港霞ヶ浦北ふ頭と伊勢湾岸自動車道みえ川越IC付近を結ぶ、約4.1kmの臨港道路。慢性的な国道23号の渋滞緩和、コンテナターミナルの機能拡充を目的として計画され、平成30年の開通までに約20年間を要しています。日本工営は平成12年度のルート検討から開通に至るまでの長期にわたり本事業に従事。橋梁の設計や渡河部の流況解析、環境調査などさまざまな業務に対応してきました。
マネジメント
1992年入社・新卒
名古屋支店 技術第一部(名古屋)
H.ANDO
橋梁設計
1998年入社・新卒
道路橋梁部(本社)
T.HATTORI
環境調査
1998年入社・新卒
仙台支店 北東北事務所(仙台)
G.MURAYAMA
港湾設計
2009年入社・新卒
大阪支店 交通都市部(大阪)
K.MURAKAMI
■
霞ヶ浦地区と伊勢湾岸自動車道を結ぶ臨港道路霞4号幹線は、
周辺道路の混雑緩和、物流コストの低減、災害時の信頼性向上を目指して、
平成10年より事業化された。
■
日本工営は平成12年に本事業に参画。
計画段階から開通直前まで長期にわたりプロジェクトを支える。
■
本路線の開通により、四日市港の競争力が向上。
地域社会に貢献する、なくてはならない存在として定着する。
今をさかのぼること平成12年。
ルート検討業務から
長い戦いが幕を上げる
H.ANDO(マネジメント)
約20年にわたり、多分野の技術を結集して臨んだ本プロジェクトは、日本工営にとって、また私個人とっても非常に貴重な経験となりました。
T.HATTORI(橋梁設計)
今をさかのぼること平成12年ですね。この事業に私が最初に携わったのがルート検討業務ですが、当時は上司のサポートメンバーでした。まだ経験も浅く、橋梁に関する知識をがむしゃらに吸収しました。それに、委員会に諮りながら物事を進めていく必要があったので、スケジュール管理が難しかったことが印象に残っています。
H.ANDO(マネジメント)
その後、私がバトンを受け取って予備設計に携わることになりました。平成15年のことです。当時は橋梁計画の担当技術者として携わったのですが、今思えばまだプロジェクトの序章といったところでしたね。
T.HATTORI(橋梁設計)
ターニングポイントは平成24年でしょうか。その年、1.4km区間の橋梁詳細設計業務が始まりました。
H.ANDO(マネジメント)
このような長大区間の業務は、主幹の名古屋支店だけでは対応しきれませんでした。そこで本社や大阪支店、様々な分野の方に協力いただき、全社体制で対応することになったのです。
県や国、そして住民
全方位への配慮が
事業の成否を左右する
K.MURAKAMI(港湾設計)
私が加わった平成24年にはルートがほとんど確定し、いよいよ事業が加速してきた時期でした。高架橋の橋脚を設置することで狭くなってしまう、海岸堤防の一部区間を広くする改築が必要になり、その構造設計や海岸管理者への説明を担当しました。
H.ANDO(マネジメント)
それから、堤防上から砂浜へと降りる階段のデザインも担当していました。私が橋梁を担当していたので、景観を監修されている有識者の方のもとへ、一緒にヒアリングに行きましたね。
K.MURAKAMI(港湾設計)
ええ、そうでした。非常に印象に残っています。外観だけでなく、利用者のことをもっと考えて、安全面や利便性に配慮するように指導をいただきました。
H.ANDO(マネジメント)
イメージを具現化することは、とても大変ですよね。何度も絵を描いてCGパースを作って、粘り強く調整を繰り返していたK.MURAKAMIさんの姿を思い出します。
T.HATTORI(橋梁設計)
H.ANDOさんにもたくさん一緒に悩んでいただきました(笑)。確かに私たちの仕事は公共性の高い性質のものですから、エンドユーザーを意識した設計が重要だと、改めて身にしみた経験でした。
H.ANDO(マネジメント)
お客様がそれら関係機関との調整を行われるにあたっては、当社が率先してさまざまな協議やヒアリングの準備を進めました。それがお客様からの信頼につながったと感じます。
突如、浮上した騒音問題。
数字だけでは測れない
人々の感情
H.ANDO(マネジメント)
沿道住民の方々への配慮という点では特に、G.MURAYAMAさんに大変ご尽力いただきました。
G.MURAYAMA(環境調査)
私も平成24年からの参加組ですが、大気質や騒音・振動、日照阻害といった周辺への影響調査を担当しました。調査の結果、環境基準値をクリアして、お客様にもご納得いただいたのですが、いざ工事が始まってみると、地元住民の方から騒音に関するクレームが入ったとお客様より相談を受けたのです。
H.ANDO(マネジメント)
それで、G.MURAYAMAさんに急きょ現場に入ってもらって、騒音計測や解析をしてもらいましたね。その結果にもとづき、私たち道路橋梁担当が遮音壁や橋梁伸縮装置部への防音対策を設計することで解決することができました。あのときはありがとうございます。
G.MURAYAMA(環境調査)
基準値さえ守られていれば十分、というわけではなく、住民の方に寄り添った対応が大切だと改めて思い知りました。
K.MURAKAMI(港湾設計)
地元対応では、海岸背後の畜養場への影響についても、お客様より相談があったと聞きます。
G.MURAYAMA(環境調査)
そう、畜養場に対する振動や光の影響について調べました。文献を漁ったり、漁業協同組合連合会へヒアリングに行ったり、果ては国立環境研究所や熊本大学に足を運び、研究者の話を伺いにまで行ったものです。業務を通じて、思わぬ知識が身につくこともあるから、この仕事は面白いですね。
T.HATTORI(橋梁設計)
騒音対策の件もそうですが、日本工営は総合コンサルタントなので、関係者の方々の要望にも社内で対応できる技術者を抱えていることは、とても心強いですね。私自身の経験としても、河口部の橋梁を設計したときに、河川管理者から流向が一定でないことを指摘され、非常に困ったことがありました。そのときは、中央研究所の河川分野の協力を仰いで流況解析を行い、なんとか乗り切ることができたのです。
K.MURAKAMI(港湾設計)
このような大きなプロジェクトに携わると、日本工営には多彩な専門家が集まっていることを実感します。長い期間にわたり、特に階段設計には頭を悩ませてきましたが、堤防完成から道路開通に至ったときは格別の達成感でした。
T.HATTORI(橋梁設計)
開通後の記者発表資料を確認すると、利用者から所要時間の短縮や輸送効率の向上などの声が寄せられていました。当初の目的は達成できたと胸を張りたいと思います。
G.MURAYAMA(環境調査)
また本プロジェクトのように、多くの分野の技術者と連携して、より良い社会形成のために何か挑戦したいですね。
H.ANDO(マネジメント)
そして、後進の若手にも本プロジェクトのような経験を積んでもらわなければ。その機会を作ることはベテランの大事な役割だと思います。みんなで協力して、当社にしかないような総合力を発揮していきましょう。